九大山の家、またの名を三楽臺(さんらくだい)

九大山の家は、昭和11年、当時の学生課長(教員職)の「学生が野山を思いのまま逍遥して足腰を鍛え、 おおらかな気分を涵養する山荘を飯田高原あたりに造りたい」との構想により、始まりました。(引用:Radix No.2 「九大山の家物語」) 
学生及び教職員で構成された調査隊を編成し、その候補地の探索を行い、調査を行った結果、 昭和12年、敷地の確保が実現し、学友会の施設として九大山の家を開所されました。落成後の九大山の家は当時の荒川文六総長が「孟子」から引用して「三楽臺(さんらくだい)」と命名されました。 その後、学生の勤労奉仕による私道の設置、管理人の確保、温泉水・真水の引き込み、電話・ 電気線の設置など数々の難問をクリアし、現在ある九大山の家に至っています。この九大山の家 の建設には、学友会幹事(学生)、教職員など本学関係者の力はもとより、当時の帝国大学の 山荘建設という教育事業に共感した地元の名士たちの尽力を忘れてはいけません。特に、敷地の確保に ついては、地元有力者から大分県知事への働きかけにより用地確保が実現した経緯があります。 戦後、九大山の家は本学関係者に親しまれ大いに利用されましたが、大学の拡大と相まって、利 用希望者が増大し、手狭となり、また、他の九州地区の国立大学において「学生・教職員が 大学の枠を越え、広く他の学生・教職員と接触し相互理解を深める」共通の施設を作りたいと の要求が強くなり、 このことから、昭和34年、文部省(当時)に対し、九州地区大学長連名で共同研修所建設 の要望書が提出され、その後も再三に渡り要望書の提出や概算要求を繰り返した結果、昭和4 3年、「九重共同研修所」が設置されることとなりました。その後、九大山の家は平成16年度~17年度に、 大改修が行われ、いまある形に生まれま変わりました。